大宝4年(704年)、長屋王は初の叙位で
正四位上となる。
通常、当時の皇族の二世王は、従四位下からの叙位が通例となっていたそうだが、
それよりも3段階高い位階(間に従四位上&正四位下)からのスタートという事は、
父・高市皇子が太政大臣だった事による、ある種の特別待遇だったのか?
或いは、無位無冠の頃から非凡な才能が見受けられたのか?
ところで、長屋王は生年が不明である。
通常、初の叙位年齢が21歳とされているが、
“懐風藻”の、長屋王の享年が54歳という記述に則れば、初叙位年齢が29歳となってしまう。
初叙位から5年後の和銅2年(709年)、
従三位 宮内卿となる。
宮内卿とは、宮中の庶務一般を取り仕切る宮内省のトップである。
因みに、
前年の和銅元年に、あの和同開珎が鋳造されている。
歴史は常に動いている…。
正四位上となる。
通常、当時の皇族の二世王は、従四位下からの叙位が通例となっていたそうだが、
それよりも3段階高い位階(間に従四位上&正四位下)からのスタートという事は、
父・高市皇子が太政大臣だった事による、ある種の特別待遇だったのか?
或いは、無位無冠の頃から非凡な才能が見受けられたのか?
ところで、長屋王は生年が不明である。
通常、初の叙位年齢が21歳とされているが、
“懐風藻”の、長屋王の享年が54歳という記述に則れば、初叙位年齢が29歳となってしまう。
初叙位から5年後の和銅2年(709年)、
従三位 宮内卿となる。
宮内卿とは、宮中の庶務一般を取り仕切る宮内省のトップである。
因みに、
前年の和銅元年に、あの和同開珎が鋳造されている。
歴史は常に動いている…。