ここまで厩戸皇子(聖徳太子)の息子・山背大兄王一族“上宮王家”の存在が虚構であった可能性を考えてきたが、
これはあくまでも“可能性”の話である。
ただし、律令国家の認める“正史”・日本書紀の中の、僅かながらではあるが不自然な記述の存在、
そして、
20名以上居たハズの上宮王家一族の墓所が一人も判明していないのは事実。
そして、日本書紀編纂チームの中心に居た藤原不比等の子孫は、
その後、約1200年に渡って朝廷の中枢に存在し続けた事も、見逃せない。
(明治新政府発足当初の太政大臣・三条実美に至るまで。)
しかし、
この先、考古学的発掘調査により、
上宮王家の墓所が確認されれば、今回の考察も見直さなければならないだろう。
歴史は常に動いている。
これはあくまでも“可能性”の話である。
ただし、律令国家の認める“正史”・日本書紀の中の、僅かながらではあるが不自然な記述の存在、
そして、
20名以上居たハズの上宮王家一族の墓所が一人も判明していないのは事実。
そして、日本書紀編纂チームの中心に居た藤原不比等の子孫は、
その後、約1200年に渡って朝廷の中枢に存在し続けた事も、見逃せない。
(明治新政府発足当初の太政大臣・三条実美に至るまで。)
しかし、
この先、考古学的発掘調査により、
上宮王家の墓所が確認されれば、今回の考察も見直さなければならないだろう。
歴史は常に動いている。