大義無きクーデターを成功させた父・中臣鎌足を、
藤原不比等は如何にしてヒーローにしたのか?

まず、何と言っても、蘇我入鹿を討ち取ったクーデター“乙巳の変(いっしのへん)”の正当化が必要だろう。

その為には、どうあっても入鹿には悪人になってもらわなければならない。

そこで、
“勝手に大王(天皇)の臣民を使役して巨大な墳墓を築造し、通常なら天皇陵にしか使われない『陵(みささぎ)』という名で呼ばせた…。”
とか、
“大王(天皇)の宮殿を見下ろす位置に自宅を建てた…。”
とか、
いろいろと入鹿が倫理的に問題の有る行動を繰り返していたという噂話を作ったものと思われる。

ただ、この頃は大宝律令や近江令のような明文化された“法律”が整備されていない以上、入鹿を討つ根拠としてはまだ弱い。

そこで決定打として、人々から信頼される人物&一族を滅亡させるという“大罪”を作り出したのだろう。

実際に入鹿に滅亡させられた“聖人”は存在しないが、
そこでうってつけの人物として浮上したのが“厩戸皇子”となるわけだ。

以前の記事でも書いたが、ほぼ政治的には何もしなかった、しかも子を成さずに薨去した皇族の息子という虚像・山背大兄王を作り出したのだろう。

そして、
“然したる理由も無く、聖人・聖徳太子(厩戸皇子)の息子・(実は存在しない)山背大兄王一族を滅亡させた”という事件を作り出したのではないだろうか。

(※人々から信頼される“実は存在しない”山背大兄王という虚像を作り出した副産物として、厩戸皇子は後に“聖人・聖徳太子”と呼ばれる事となったのかと。)

そして、捏造した事件を“日本書紀”という正史編纂チームの中心人物として、藤原不比等は堂々と記載した…。



歴史は常に動いている。