さて、改めて押さえておかなければならないのが、
律令国家の認める正式な歴史書“日本書紀”編纂チームの事である。

天武天皇の勅令で始まり、持統天皇の時に完成した
全30巻にも及ぶ日本書紀の編纂は、
かなりの人数が関わった訳だが、
特に持統天皇の時代の中心人物が“藤原不比等”だという点だ。

不比等にとっては、どうしても“蘇我入鹿”が悪人でなければならない理由があった。

それは、父・中臣鎌足が“正義のヒーロー”でなければならないという事である。

中臣鎌足は、御存知のとおり“乙巳の変(いっしのへん)”で、中大兄皇子の背後で、蘇我入鹿を討ち果たす計画の立案をした人物だ。

乙巳の変~大化の改新以降、長きに渡って蘇我入鹿が悪人だったと、誰もが教育されてきたのだが、
これがそもそも間違いの元だったのだろう。

日本書紀で
やたらと入鹿を悪人、中臣鎌足をヒーロー・中大兄皇子の右腕と印象付けるという事は、実は両者の立場は逆だったのではないかという疑いも出てくる。

立場が逆という事は…!?



歴史は常に動いている。