10日余り経ってしまったが、
“上宮王家”の話を再開。


蘇我入鹿によって攻め滅ぼされてしまった山背大兄王の一族だが、
何故、入鹿はそこまでの行動をとったのか?

日本書紀によると、入鹿は“突然”上宮王家に軍勢を差し向けた事になっている。

確かに、厩戸皇子の子・山背大兄王は、
次期大王(天皇)候補として入鹿の推す“古人大兄皇子”の対立候補となり得る存在であった。

しかし、大臣・蘇我入鹿が軍勢を差し向ける大義名分が全く解らない。

山背大兄王が何か国益を損ねるような事や、或いは犯罪行為をしたと思しき記録は、全く無いのである。

いやいや、入鹿はその少し前に、
やはり大和王権内の有力者で入鹿の叔父でもあった境部摩理勢(さかいべのまりせ)を攻め滅ぼしているではないか?
つまり、
入鹿にとって邪魔な相手は有無を言わさず軍事力で排除するだけだったのではないかという声も聞こえてきそうだが、
対・境部摩理勢の場合と、対・山背大兄王とでは、少々事情が異なっている。

境部摩理勢を攻め滅ぼした時は、あくまでも蘇我一族内の意思統一の為にやった、謂わば一族内の“内乱”である。
故に、その行動に対して大和王権から何も非難される筋合いも無かったのだろう。

しかし、山背大兄王一族を滅ぼしてしまった時は、
確かに次期大王の対立候補ではあるが、
仮にも“皇族”に対して、突然、軍事力を行使して滅亡に追い込んだのは、いささか性急過ぎではないだろうか?



歴史は常に動いている。