日本書紀によると、
厩戸皇子(聖徳太子)の息子・山背大兄王とその一族(上宮王家)二十数名が斑鳩寺でことごとく自害した時、
空に五色の幡・絹笠が現れ、舞楽と共に輝きながら斑鳩寺の上に垂れかかった…
と、奇瑞の光景が見られたという。

また、これを見た多くの人々が蘇我入鹿に教えたとたん、空の奇瑞は黒雲に変わってしまい、入鹿はこれを見る事は出来なかったと。

これは、まるで天が上宮王家を快く迎え入れようとしていたという事…
即ち、山背大兄王が父親・厩戸皇子に負けず劣らず優れた人物だったという事であろうか。

因みに、入鹿が上宮王家を滅ぼしたと聞いた蘇我蝦夷は、
“大馬鹿者”とも、
“入鹿の命も危ういものだ”とも言ったとか。

蝦夷はこの入鹿の行動を全く把握しておらず、
入鹿の独断で上宮王家を滅ぼしたという事だろう。

ところで、入鹿は何故、突然上宮王家を攻め滅ぼしたのか?
日本書紀を読む限りでは、その前月に入鹿は山背大兄王を廃し、古人大兄皇子を次の天皇にしようと企てた…と、ある。

山背大兄王も古人大兄皇子も、
母親は蘇我氏の娘であり、どちらも入鹿にとっては身内だったはずなのだが…。




歴史は常に動いている。