日本書紀によると、
629年からの舒明期に、数々の天変地異があったという。

洪水、干魃、日蝕、彗星、台風、流星…。

数々の天変地異に見舞われた舒明天皇は、
641年に崩御。
在位12年。

次に即位したのは、舒明天皇の皇后・宝皇女(たからのひめみこ)。
皇極天皇である。

皇極天皇になってからも、天変地異は続いたようだが、
更に、日本書紀では蘇我氏の行き過ぎた行動が複数報告されるようになる。

皇室領の葛城に蘇我氏先祖累代の霊廟を建てた…
蝦夷&入鹿親子の墓を造り、大陵&小陵と呼ばせた…
(“陵”は天皇陵にしか使われない)
子供達を皇子と呼ばせた…
etc.…

643年(皇極天皇2年)には、蘇我蝦夷は病を理由に大臣(おおおみ)を息子の入鹿に譲る。

この入鹿が、決定的な事をしてしまう…。




歴史は常に動いている。