ここまで、律令国家の認める“正史”・日本書紀では、ほとんど語られる事の無い、
神武天皇以前に畿内を支配していた神“ニギハヤヒ”について考えてきたが、
まだまだ謎は尽きない。

一つ言えるのは、おそらく高天原の嫡流だったはずのニギハヤヒの存在を、
日本書紀は意図的に稀薄にしているという事。

即ち、仏教伝来直後まで強大な力を持っていたニギハヤヒの末裔・物部氏の正統性を嫌った勢力が有るという事だ。

その最右翼は、やはり平安時代中期から明治維新に到るまで朝廷の中枢に居た藤原氏だろう。

中でも、日本書紀編纂チームの中心だったという、
藤原不比等(ふじわらふひと)か。

自分が皇室を担ぐ事で権力を得たにもかかわらず、
その皇室が実は高天原の傍流で、
物部氏が高天原の正統なる後継者と広く知られてしまっては、
すぐに自分が権力を失うであろうという恐怖感を持っていたのではないだろうか。

日本書紀では上手く話を書いたのだろうが、
先代旧事本紀という書が現代まで残ってしまったのは、誤算と言うべきか。

そして、日本書紀と先代旧事本紀、双方を読み比べてみると、
先の記事でも書いたとおり、
日本書紀の不自然さが際立ってしまう事が判るだろう。

しかし、これはあくまでも文献だけでの推理。
物的証拠は無い。

オリジナルの行方が判らない天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)同様、今後の新たな発見を待ちたい。




歴史は常に動いている。