大阪市平野区の、楯原神社。
その境内に、
その名もズバリ、
“神宝十種宮(かんだからとくさのみや)”
という摂社が在る。

楯原神社の社伝によると、
天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)を手に入れた豊臣秀吉は、
これを生國魂神社(現・大阪市天王寺区)に奉納したという。
しかし、幕末動乱期に生國魂神社内が荒らされ、御神宝も散逸。
街の古道具屋等に流れてしまった物も有ったとか。
それを志の有る人が集め、楯原神社に献上。
そして、境内摂社・神宝十種宮が建立となったそうだ。

その後、石上神宮が楯原神社に神宝十種の返還を求めたが、返さなかったというのだが…。


この話の不自然な所は、篤志家が神宝十種を集めた後、本来納められていた石上神宮ではなく、楯原神社に献上したという事だ。

更には、石上神宮からの返還請求を拒否したという話からすると、
楯原神社には、天璽瑞宝十種は存在していない?
(オリジナルが無いだけで、境内摂社・神宝十種宮にはレプリカもしくは図案画が存在する可能性も有る。)

やはり、天璽瑞宝十種のオリジナルは失われてしまったのだろうか?

しかし、他にも天璽瑞宝十種の存在を示唆する資料は有る。



歴史は常に動いている。