石上神宮の社伝によると、
永禄11年(1568年)、当時、織田信長配下となっていた松永久秀が大和に侵攻し、
尾張勢が石上神宮に乱入の上、御神宝を持ち去ったという。

持ち去られた御神宝の中には、天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)も当然含まれていたはずだ。

石上神宮社伝では、これ以降の事が不明だが、おそらく、松永久秀から織田信長の手に渡ったと考えられる。

しかし、本能寺の変で織田信長は倒れる。
そうなると、明智光秀がこれを手にいれたのか?
(本能寺の変は、天璽瑞宝十種の争奪戦?)

しかし、明智光秀も、僅か数週間で豊臣秀吉に敗れ、天璽瑞宝十種も秀吉の手に渡ったのではないだろうか?

しかし、御存知のとおり、大阪の陣で豊臣は滅亡。
と共に、天璽瑞宝十種は永久に失われてしまった…のではなさそうだ。

もう少し後の時代に、“神宝十種(かんだからとくさ)”と表現される御神宝の記録が存在する…。



歴史は常に動いている。