さて、日本書紀におけるニギハヤヒの記述は、
古事記とは少しおもむきが違う。

カムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、
九州にいる間に、
『東に緑に覆われた良い土地があり、そこに天の磐舟(アメノイワフネ)に乗って降りてきた者がいて、それは“ニギハヤヒ”だろう。』
と、
既にニギハヤヒの存在を知っている。

しかも、ニギハヤヒの降りた土地こそがこの国の中心で、
そこに行って都を造ろうと考えるのである。

ここからは古事記の記述と似ていて、
カムヤマトイワレビコは生駒山を越えて内陸に入ろうとした所でナガスネヒコ軍と戦い、
進めなくなったので紀伊半島を迂回して熊野に上陸。

その後、エウカシ&オトウカシ、エシキ&オトシキを下し、ついにナガスネヒコ軍と再戦となる。

その時、ナガスネヒコは
カムヤマトイワレビコに使いを送り、
自分が天から降りてきたニギハヤヒに仕えていて、
自分の妹・ミカシキヤヒメとニギハヤヒの間に、ウマシマデという子が生まれている事を知らせる。

また、この後、お互いに、
天神の子の証し“天の羽羽矢(アメノハハヤ)”を示しあい、それが本物であると認め合っている。

しかし、ナガスネヒコが仕えていたニギハヤヒは、
天神と人間は全く違う事を教えても理解しようとしないナガスネヒコを殺害。

そして、ニギハヤヒはカムヤマトイワレビコに恭順する。

そして、古事記と同様、ニギハヤヒは二度と出てこない。


日本書紀の記述では、古事記と違い、
カムヤマトイワレビコは最初から畿内・大和にニギハヤヒが降臨している事を知りながら、東征を決めている。

また、天孫・ニニギとニギハヤヒ、
どちらが先に天から降りてきたのかは、
日本書紀では触れていない。

そして、何と言ってもナガスネヒコの事。
古事記では、大阪湾での戦いの後、二度と出てこなかったナガスネヒコだが、
日本書紀では信じて仕えていたはずのニギハヤヒに見捨てられ、殺されてしまう事が書かれている。


古事記では、ニギハヤヒよりも先にニニギ(カムヤマトイワレビコの曾祖父)が先に降臨したと書かれ、
カムヤマトイワレビコの圧倒的な正統性を示していると感じられるのだが、
日本書紀ではその辺りがぼかされている。


古事記と日本書紀、双方を読み比べただけでは、ニギハヤヒの立ち位置がなかなかハッキリしないのだが、
“第三の書”では、どうだろうか?



歴史は常に動いている。