さて、東海道ウォークの続きを。
山中城趾を過ぎ、舗装道路と石畳を交互に歩きつつ進むと、
こんな石碑が。
↓

『菊池千本槍の碑』!

鎌倉幕府が倒された後、
所謂“南北朝”の争いの頃。
南朝方の菊池氏と北朝方の足利氏が、箱根峠西側で戦ったという。
この頃、白兵戦の主流は大型の薙刀。
ここで劣勢だった菊池氏側は、箱根山中に群生していた篠竹の先に短刀を取り付け、
薙刀よりも軽い武器を考案し、
足利方を押し返したと言われている。
この時、菊池氏側が考案した軽量の武器は、
その後、“菊池槍”と呼ばれる事となる。
その特長は、穂先が“片刃”!
菊池千本槍の碑から、少し進むと、
細く長い直線的な下り坂に。
↓

ここは上長坂と呼ばれ、
かつては自然薯や田楽、餅が名物だったそうだが、
今は特に何も無し。
写真は、上長坂途中の馬頭観音に手を合わせる人神人(ヒトシンド)君。
因みに、この坂の下の方は、下長坂。
山中城趾を過ぎ、舗装道路と石畳を交互に歩きつつ進むと、
こんな石碑が。
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『菊池千本槍の碑』!

鎌倉幕府が倒された後、
所謂“南北朝”の争いの頃。
南朝方の菊池氏と北朝方の足利氏が、箱根峠西側で戦ったという。
この頃、白兵戦の主流は大型の薙刀。
ここで劣勢だった菊池氏側は、箱根山中に群生していた篠竹の先に短刀を取り付け、
薙刀よりも軽い武器を考案し、
足利方を押し返したと言われている。
この時、菊池氏側が考案した軽量の武器は、
その後、“菊池槍”と呼ばれる事となる。
その特長は、穂先が“片刃”!
菊池千本槍の碑から、少し進むと、
細く長い直線的な下り坂に。
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ここは上長坂と呼ばれ、
かつては自然薯や田楽、餅が名物だったそうだが、
今は特に何も無し。
写真は、上長坂途中の馬頭観音に手を合わせる人神人(ヒトシンド)君。
因みに、この坂の下の方は、下長坂。