慈尊院&丹生官省符神社の近く、
住宅街の中にひっそりと佇む石塔が。

こちらは“能光尊”という、仏像造りの名人の墓だという。

高野山 壇上伽藍 中門の、
多聞天・持国天は、能光仏師の作品だそうだ。
壇上伽藍中門
↓

多聞天
↓

持国天
↓

九度山を離れる前に、昼食を。
調度、真田庵裏門の並びに在った蕎麦屋に行ってみた。
↓

“幸村庵”という店。

九度山に軟禁中の真田昌幸&信繁 親子が、
上田藩主となった真田信之(昌幸の嫡男)に、
“日々の食い扶持にも困っている…”
と、困窮を訴える手紙を出したところ、
“蕎麦の実”を山ほど送ってきたとか。
本当は現金が欲しかった昌幸&信繁、
暫くは毎日、蕎麦ばかり食べていたとか…。
それでも無くならない蕎麦の実。
仕方無いので、九度山の人々に蕎麦の製法や食べ方を教えつつ、売ったりもして生活したそうで…。
そんな“蕎麦”の繋ぐ縁を復活させようと、
九度山から信州上田へ蕎麦の製法を勉強しに行き、上田産のソバ粉を使った蕎麦を出す店を造り、“幸村庵”という看板を掲げるに至ったのがこの店だという。

良い店、良い蕎麦でした。
昨年の大河ドラマ“真田丸”にも登場した
“真田紐(さなだひも)”。
真田郷で作られていた綿織物の製法で紐を編むと、かなり丈夫な紐になったので、
昌幸&信繁は、これを売って生活の足しにしていたという、
made in 九度山の真田紐を我々も買い求め…。

高野山 奥の院 一の橋前の案内所で買った
金剛杖に、刀の“下げ緒(さげお)”の要領で装着してみたり…。
↓

こうして、御大師様と真田昌幸&信繁の旧跡を巡った
『キック・ザ・ツアー in 高野山&九度山』
は、幕を閉じた。

ありがとう高野山!
ありがとう九度山!
いずれ、再訪したい。
住宅街の中にひっそりと佇む石塔が。

こちらは“能光尊”という、仏像造りの名人の墓だという。

高野山 壇上伽藍 中門の、
多聞天・持国天は、能光仏師の作品だそうだ。
壇上伽藍中門
↓

多聞天
↓

持国天
↓

九度山を離れる前に、昼食を。
調度、真田庵裏門の並びに在った蕎麦屋に行ってみた。
↓

“幸村庵”という店。

九度山に軟禁中の真田昌幸&信繁 親子が、
上田藩主となった真田信之(昌幸の嫡男)に、
“日々の食い扶持にも困っている…”
と、困窮を訴える手紙を出したところ、
“蕎麦の実”を山ほど送ってきたとか。
本当は現金が欲しかった昌幸&信繁、
暫くは毎日、蕎麦ばかり食べていたとか…。
それでも無くならない蕎麦の実。
仕方無いので、九度山の人々に蕎麦の製法や食べ方を教えつつ、売ったりもして生活したそうで…。
そんな“蕎麦”の繋ぐ縁を復活させようと、
九度山から信州上田へ蕎麦の製法を勉強しに行き、上田産のソバ粉を使った蕎麦を出す店を造り、“幸村庵”という看板を掲げるに至ったのがこの店だという。

良い店、良い蕎麦でした。
昨年の大河ドラマ“真田丸”にも登場した
“真田紐(さなだひも)”。
真田郷で作られていた綿織物の製法で紐を編むと、かなり丈夫な紐になったので、
昌幸&信繁は、これを売って生活の足しにしていたという、
made in 九度山の真田紐を我々も買い求め…。

高野山 奥の院 一の橋前の案内所で買った
金剛杖に、刀の“下げ緒(さげお)”の要領で装着してみたり…。
↓

こうして、御大師様と真田昌幸&信繁の旧跡を巡った
『キック・ザ・ツアー in 高野山&九度山』
は、幕を閉じた。

ありがとう高野山!
ありがとう九度山!
いずれ、再訪したい。