新田義貞の首塚を過ぎ、国道1号線と合流して暫く行くと、左手に案内板が。

上杉龍若丸の墓。

1551年、小田原北条三代目の北条氏康が、
当時の室町幕府体制の“鎌倉府”No.2
関東管領(かんとうかんれい)上杉憲政の平井城(現・群馬県藤岡市)を攻めた折り、
上杉憲政が停戦の使者として、
嫡男・龍若丸を小田原に派遣したものの、
龍若丸は処刑されてしまい、
龍若丸に同情した町民によって供養されたという。

今では、“上杉神社”として祀られている。
更に、この小さな社の中には五輪塔が遺されている。
中央の五輪塔が龍若丸の墓、その周囲の五輪塔は上杉の家臣達の墓と言われている。
小田原はすぐそこだ!