焼餅坂を下り切った我々の前に現れたのは、
こちら。
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信濃一里塚。
日本橋から9番目の一里塚。
(日本橋から約36Km。)



ここからはまた上り坂で、信濃坂と呼ばれていたそうで、
日本橋から見て、上りの権太坂~下りの焼餅坂~上りの信濃坂と、三つの坂を合わせて“東海道第二の難所”とされていたという事が判明。



因みに、通常“一里塚”は、街道の両側に一対で造られる物だそうだが、
この信濃一里塚は、両方とも残っている珍しい例である。


こちらが日本橋から見て右側。
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そしてこちらが左側。
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しかし、戸塚宿はまだまだ見えない…。