品川宿から鈴ヶ森刑場跡を経て、歩く…歩く…

日没後、ようやく多摩川に。

江戸時代前期、洪水で多摩川の橋は破壊され、その後、橋は架けられなかったという。

橋が架かっていると、その先の川崎宿をほとんどの人が通過してしまうので、
川崎宿はあまり潤っていなかったとか。

そこで、橋が破壊された時に、東海道の多摩川渡河は“渡し舟”に変更する事を川崎宿から進言。

徳川幕府も、江戸の防衛の事を考え、この進言を採用し、江戸時代を通じてここに橋は架けられなかったと。


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明治天皇が平安京から江戸に移動する時も、ここで渡し舟に乗ったとか。







多摩川を渡ると、川崎宿。











田中本陣。

今は、小さな医院。








佐藤本陣は、

今はビルになっていた。






一日目の夜は川崎宿に宿泊。



幸い、川崎駅近くで、しかも、旧東海道沿いのカプセルホテルが空いていたので、翌日に備えて早々に休んだ我々であった…。