横浜市磯子区岡村の、岡村小学校に隣接する
三殿台遺跡。

多数の住居跡が発見される前は、
“屏風ヶ浦岡村貝塚”(びょうぶがうらおかむらかいづか)と呼ばれていたという。

古代人のゴミ捨て場“貝塚”の存在だけは、判っていたのである。

因みに、三殿台遺跡の入口の向かい側の空き地、こちらが貝塚が発見された所。
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今は埋め戻されているが、貝塚の断面図が資料室に復元されている。



さて、遺跡内部に足を踏み入れると、
奥の方に復元住居が見える。



そして、地面には…



円形、楕円形、方形、三種類の表示が。



円形は縄文時代

楕円形は弥生時代

方形は古墳時代

の、住居跡が発見された場所だそうだ。



実際の住居跡は保存の為に埋め戻され、
その代わりに、住居跡が発見された場所に
住居表示を施したものである。


三つの時代の住居跡は、270軒が重なりあうように発見されたという。









弥生時代の住居跡が一番多かったようだ。


三つの時代に渡っている遺跡である事が判った事で、
ここは昭和41年“国指定史跡”となった。




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住居表示の向こうに見える白い建物は、
埋め戻されなかった数少ない実際の住居跡の保護棟。



それでは、保護棟へ!