大塚・歳勝土遺跡は、
環濠集落遺跡の、“大塚遺跡”
と、
埋葬施設である“歳勝土遺跡”
に、大別されるのだが、
先ずは、この“大塚”環濠集落。




壕の部分に架かる小さな橋を渡り、
中に入ると、
すぐ左手には、樹脂で固められた住居跡。



そして、いくつかの復元住居が点在している。



こちら、Y-39号。



大塚遺跡内では標準的な中型住居。



とは言うものの、
そこはやはり竪穴式住居。

あまり隅の方へ行くと、
屋根が迫っており、我々現代人は立って歩く事は出来ない。



ただ、弥生時代中期の大塚ムラの人々は、
栄養状態から考えれば、
現代人よりも小柄だったと思われるので、
これでも十分な広さだったのかと。