横浜市北部、横浜市営地下鉄(ブルー&グリーンライン)の
“センター南”駅近くの
茅ヶ崎城址から少し足を延ばし、
“センター北”駅近辺へ北上すると…
整備された遺跡公園が。
発掘当時の写真等…
出土品の写真も。
ここは、
大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡。
中に入ると、
周囲より若干高い所に木柵が見えてくる。
入口には、小さな橋。
橋の下に在る溝が、遺跡の周囲を完全に囲っている。
約2000年前、弥生時代中期の
“環濠集落”(かんごうしゅうらく)だ。
集落周りの環濠は、600m程。
住居跡は85軒が確認されたという。
弥生時代中期の高地性環濠集落は、
明らかに集落の防衛を目的とした造りで、
この時代には食糧の簒奪、
或いは、
既に権力闘争が始まっていた可能性も有る。
遺跡の奥に進むと…?
“センター南”駅近くの
茅ヶ崎城址から少し足を延ばし、
“センター北”駅近辺へ北上すると…
整備された遺跡公園が。
発掘当時の写真等…
出土品の写真も。
ここは、
大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡。
中に入ると、
周囲より若干高い所に木柵が見えてくる。
入口には、小さな橋。
橋の下に在る溝が、遺跡の周囲を完全に囲っている。
約2000年前、弥生時代中期の
“環濠集落”(かんごうしゅうらく)だ。
集落周りの環濠は、600m程。
住居跡は85軒が確認されたという。
弥生時代中期の高地性環濠集落は、
明らかに集落の防衛を目的とした造りで、
この時代には食糧の簒奪、
或いは、
既に権力闘争が始まっていた可能性も有る。
遺跡の奥に進むと…?