茅ヶ崎城址、中郭からこの階段を降りると…



その先には、北郭。




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この柵の向こう側は、腰郭かと。
左下には、東北郭が拡がっていたはずだが…
そちらは既に住宅地となっている。
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現在、遺されている主要な郭は
西、東、中、北、
の、4つだが、かつてはその外側に
帯状の郭(帯郭)や腰郭がまだまだ在ったようだ。



この土橋の先は…
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こんな状態。
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道路、そして住宅街。

かつては帯郭だったと思われる場所が道路となり、平場が住宅地となっている。




室町幕府が設置した“鎌倉府”の次官・関東管領(かんとうかんれい)上杉氏による築城~



小田原を拠点とした後北条氏の支配となり…



豊臣秀吉の小田原征伐~徳川幕府の時代になると、
一国一城令により廃城となるも、
その後の茅ヶ崎城の遺構は、“城山”として地域住民の憩いの場として、幕末~明治維新を迎え、現在に到る。




以上、横浜市北部の茅ヶ崎城址であった!