さて、善光寺本堂の中。

ガッツリと撮影禁止。

参拝のしおりの絵図がこちら。
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料金を支払い、
内陣に上がらせて頂いて御焼香。

奥を見ると、内々陣左側の御簾がとじられているのだが、
ここに、善光寺本尊
“絶対秘仏・一光三尊阿弥陀如来 ”
が祀られているそうだ。

一光三尊阿弥陀如来とは、
所謂、阿弥陀三尊像で、
阿弥陀如来を中央に、観音菩薩と勢至菩薩を両側に配する三位一体の仏像である。

実はこの絶対秘仏、日本書紀に出てくる日本に初めてもたらされた仏像だという。

日本書紀によると、
欽明天皇13年(552年)
※“上宮聖徳法王帝説 ”によれば、538年
百済の聖明王から贈られた仏像が、欽明天皇から当時の大臣(おおおみ)・崇仏派の蘇我稲目に与えられ、稲目は自宅を寺にしてその仏像を祀ったのだが、
疫病が流行すると、
蕃国(あたしくに)の神(※仏)を祀った事が国神の怒りを招いた結果だと主張する
大連(おおむらじ)・物部尾輿や連(むらじ)中臣鎌子によって仏像は難波の堀江に捨てられてしまう。

それから100年余り後、皇極天皇元年(642年)、
本田善光という人物が漁の最中に網にかかった仏像を祀り、その場所が善光寺となったというのだが…
本田善光が海から引き揚げ、今では絶対秘仏とされている善光寺本尊こそ、かつて物部尾輿や中臣鎌子に捨てられてしまった百済から贈られた仏像だと言われている。


そんな“萌え”ポイントを語りつつ、
我々は“御戒壇めぐり”へ!