那智如意輪堂は、
推古天皇(A.D592~628)の頃に
現在見られるような大伽藍が整えられたという。

↑
この境内絵図の、左上に僅かながら
熊野那智大社が見える。
538年の仏教伝来以降、特に、奈良時代末期から平安時代にかけて、
従来から日本に存在する神々と、
外来の仏を共存させようと、
本地垂迹(ほんじすいじゃく)説、
即ち神仏習合(しんぶつしゅうごう)の考えが成立。
那智山で那智大社と青岸渡寺が共存しているのもその名残か。

青岸渡寺本堂から先を見渡すと、
遠くに三重塔と那智の滝が。

更に歩を進め、三重塔に近付くと…
↓

こちらは三重塔に登り、
那智の滝を臨む景色。
↓

このあたりで体力の限界を感じた我々は、
那智大社前の駐車場に戻り、
滝前の飛瀧神社(ひろうじんじゃ)を目指す事に…。
推古天皇(A.D592~628)の頃に
現在見られるような大伽藍が整えられたという。

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この境内絵図の、左上に僅かながら
熊野那智大社が見える。
538年の仏教伝来以降、特に、奈良時代末期から平安時代にかけて、
従来から日本に存在する神々と、
外来の仏を共存させようと、
本地垂迹(ほんじすいじゃく)説、
即ち神仏習合(しんぶつしゅうごう)の考えが成立。
那智山で那智大社と青岸渡寺が共存しているのもその名残か。

青岸渡寺本堂から先を見渡すと、
遠くに三重塔と那智の滝が。

更に歩を進め、三重塔に近付くと…
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こちらは三重塔に登り、
那智の滝を臨む景色。
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このあたりで体力の限界を感じた我々は、
那智大社前の駐車場に戻り、
滝前の飛瀧神社(ひろうじんじゃ)を目指す事に…。