かなり短時間で熊野那智大社の境内を通り過ぎてしまった我々の目の前に現れたのがこちら…↓

那智山 青岸渡寺
天台宗寺院である。

第16代・仁徳天皇の頃に、熊野に漂着した
インドの裸形上人が那智の滝で修行中に、
滝の中から発見した
“如意輪観音像”
を安置する為に、如意輪堂を建てたのが始まりだという。
※仏教伝来は538年、もしくは552年とされているのだが、
300年代に菩薩像が果たして日本国内に存在していたのだろうか?
因みに、隣接する熊野那智大社の方も、
実はかつて那智の滝近くで祀られていたのだが、
同じく仁徳天皇の頃に現在の社殿が建てられ、祭祀場を滝の前から移されたと言われている。

青岸渡寺本堂前の如意輪観音像を経て…
本堂に入ろうとすると、
“那智山”
と書かれた額が目に入って来る。

残念ながら、本堂内の本尊・如意輪観音像は撮影禁止。
その後、我々は青岸渡寺の大伽藍を歩いてみた…。

那智山 青岸渡寺
天台宗寺院である。

第16代・仁徳天皇の頃に、熊野に漂着した
インドの裸形上人が那智の滝で修行中に、
滝の中から発見した
“如意輪観音像”
を安置する為に、如意輪堂を建てたのが始まりだという。
※仏教伝来は538年、もしくは552年とされているのだが、
300年代に菩薩像が果たして日本国内に存在していたのだろうか?
因みに、隣接する熊野那智大社の方も、
実はかつて那智の滝近くで祀られていたのだが、
同じく仁徳天皇の頃に現在の社殿が建てられ、祭祀場を滝の前から移されたと言われている。

青岸渡寺本堂前の如意輪観音像を経て…
本堂に入ろうとすると、
“那智山”
と書かれた額が目に入って来る。

残念ながら、本堂内の本尊・如意輪観音像は撮影禁止。
その後、我々は青岸渡寺の大伽藍を歩いてみた…。