野面積の石垣もはや小田原の北条氏以外に敵が居なくなった秀吉は、この石垣山一夜城でかなり楽しんでいたとか。小田原城を見下ろしながらの花見や、淀君を大阪から呼び寄せての茶会とか。因みに、淀君は二ヶ月程滞在していたらしい。城を出て、空堀跡の道に立つと…安政大地震や関東大地震にも耐えて残っている石垣が見える。ここは、野面積(のづらつみ)という方法で堅固に築かれた石垣で、戦国末期の技術の高さがよく解る。