大阪夏の陣の後に、京・大阪界隈で流行った童歌に出てくる
“鬼の様なる真田”
こと、真田“幸村”信繁が討死していなかった可能性が囁かれていた。

その根拠が、討ち取られた真田幸村の“首実検”の結果である。

なんと、徳川家康が真田幸村の顔を知らなかった為に、
“我こそは…!”
と、真田幸村の首級を挙げたという者が続出したというのだ。

そこで家康は、当時、
徳川方に与していた真田信伊(のぶただ※幸村の叔父)に、
“幸村の首級”
とされる複数の首を見せ、その中に本物の幸村の首があるかどうか、判断を仰いだという。

しかし、信伊の答えは…
『よくわからない。』
だったとか。

結局、真田幸村の代名詞と伝えられていた“鹿の角をあしらった兜”を被った首を
“真田幸村の首”として処理したらしい。

すなわち、真田幸村の明確な死が確認出来ていない可能性が有ったのだ…。


歴史は常に動いている。