島原の乱鎮圧より23年前、
慶長20年(1615年)5月の事、
所謂“大阪夏の陣”が終結。
豊臣秀吉の遺児・秀頼と、その母・淀君が大阪城内の籾蔵で自害したと言われている。

だが、その後、京・大阪界隈で、
妙な童歌が流行ったという。


花の様なる秀頼様を
鬼の様なる真田が連れて
退きも退いたり鹿児島へ


この童歌に出てくる『真田』というのは、
大阪夏の陣で豊臣方に居た
真田“幸村”信繁の事と思われる。

通常、真田幸村は大阪夏の陣末期、徳川家康の本陣に突撃を敢行し、家康に死を覚悟させる程の奮戦をしたものの討ち取られたとされている。

が、何故、上記の様な童歌が流行ったのだろうか?

日本人の好きな“判官贔屓”とも考える事もできるが、そこにはそれ相応の根拠も有ったとも言われているのもまた事実である。

その事実とは…?


歴史は常に動いている。