寛永14年(1637年)10月25日、
島原・有馬村の代官・林兵左衛門が殺害されたという。

その経緯については諸説ある。
キリシタンの布教活動を止めさせようとして宗教画を破り捨てた代官を見て、キリシタンが暴発したとか、
きつい徴税に耐えられずに代官に直談判しようと集まっていた農民を解散させようとして、代官が一人の農民を殴り倒した事が発端だとか…。

とにかく、暴動が発生してしまったのである。
そして、これは単なる暴動に止まらず、
組織化された反乱行動へと発展して行ったらしい。

その中心は、この時点で浪人、もしくは農民となっていた旧・有馬氏の家臣達だったと言われ、
そこに旧・小西行長家臣達も加わったとされている。

これに対し、島原藩は討伐軍を差し向ける準備を始めたという。


歴史は常に動いている。