横浜市鶴見区東寺尾の鎮守・白幡神社。

正面の鳥居をくぐり、階段を昇ると、
二つ目の鳥居の奥に社殿が見える。

右には手水舎越しに舞殿が…↓

そして、左には摂社が見える。↓

社伝によれば、この白幡神社、
かつては源頼朝が祀られており、
戦国時代の有名武将・武田信玄の後を継いだ“勝頼”(長篠で織田&徳川連合軍に惨敗した、あの勝頼)の母親の実家一族の先祖、
“諏訪三河守”が、
この付近に在った寺尾城主(当ブログ始まって間もない頃に書かせて頂いた)だった頃(1435年頃)、足利尊氏を合祀したそうだ。
↓

そして明治維新後に、御祭神が
応神天皇(全国の八幡宮に祀られている御祭神の一柱※第15代天皇)と改められたという。
本殿の左脇から背後には、摂社が。
↓




本殿脇には、こんな説明文も。
↓

摂社は、
稲荷社(ウカノミタマノミコト)
熊野社
三峰社(イザナキ&イザナミ御夫妻)
氷川社(スサノヲ&クシナダ御夫妻)
だそうだ。
※追記
鳥居脇には、日清&日露の戦没者慰霊碑が。
↓


正面の鳥居をくぐり、階段を昇ると、
二つ目の鳥居の奥に社殿が見える。

右には手水舎越しに舞殿が…↓

そして、左には摂社が見える。↓

社伝によれば、この白幡神社、
かつては源頼朝が祀られており、
戦国時代の有名武将・武田信玄の後を継いだ“勝頼”(長篠で織田&徳川連合軍に惨敗した、あの勝頼)の母親の実家一族の先祖、
“諏訪三河守”が、
この付近に在った寺尾城主(当ブログ始まって間もない頃に書かせて頂いた)だった頃(1435年頃)、足利尊氏を合祀したそうだ。
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そして明治維新後に、御祭神が
応神天皇(全国の八幡宮に祀られている御祭神の一柱※第15代天皇)と改められたという。
本殿の左脇から背後には、摂社が。
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本殿脇には、こんな説明文も。
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摂社は、
稲荷社(ウカノミタマノミコト)
熊野社
三峰社(イザナキ&イザナミ御夫妻)
氷川社(スサノヲ&クシナダ御夫妻)
だそうだ。
※追記
鳥居脇には、日清&日露の戦没者慰霊碑が。
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