忠長が甲府に蟄居させられた理由は、今一つ判らず、色々な憶測が成されている。

寛永7年(1630年)11月頃の“猿狩り”も、その原因になったと噂されている。

場所は、駿河国浅間神社。
この森には野生の猿が多数生息していた。
森は勿論、“神域”であり、ここに住む猿は“神獣”である。

忠長は事もあろうにここで“猿狩り”を行った事があり、これが“蟄居”の理由の一つとされたという。

しかし、一説には、領内の田畑が猿に荒らされ、その猿が神域とされる森に住んでいた為に、領民は手出し出来ずに困っている事を知った忠長が、領民を守る為に“猿狩り”を断行しただけであり、決して神に弓引く意思は無かったとも言われている…。


歴史は常に動いている。