元和4年(1618年)10月9日の事。
将軍・秀忠の食事として、鴨汁が出された。
その鴨は、当時12歳の国千代が撃ち取ったものだったという。
それを知った秀忠は、大層喜んだとか。
だが、事態は急転した。
鴨を撃った場所が悪かった。
それは、江戸城西の丸の壕。
つまり、国千代は御世継ぎである兄・竹千代の住む場所に向かって発砲したのである。
これを知った秀忠は、
“竹千代の住む西の丸に発砲するとは、将軍に対する反逆に等しい。”
と言い、箸を置いて席を立ってしまったという。
国千代を溺愛していた秀忠がこれ程の事を言ったのは、竹千代が世継ぎである事が正式に決定していたからであろう。
国千代は悪気があったわけではなかっただろうが、やはりまだ子供である。
“権力”や、その継承権という物がわかっていなかったに違いない。
歴史は常に動いている。
将軍・秀忠の食事として、鴨汁が出された。
その鴨は、当時12歳の国千代が撃ち取ったものだったという。
それを知った秀忠は、大層喜んだとか。
だが、事態は急転した。
鴨を撃った場所が悪かった。
それは、江戸城西の丸の壕。
つまり、国千代は御世継ぎである兄・竹千代の住む場所に向かって発砲したのである。
これを知った秀忠は、
“竹千代の住む西の丸に発砲するとは、将軍に対する反逆に等しい。”
と言い、箸を置いて席を立ってしまったという。
国千代を溺愛していた秀忠がこれ程の事を言ったのは、竹千代が世継ぎである事が正式に決定していたからであろう。
国千代は悪気があったわけではなかっただろうが、やはりまだ子供である。
“権力”や、その継承権という物がわかっていなかったに違いない。
歴史は常に動いている。