元和2年頃(※1616年頃)、
国千代が10歳頃、甲府20万石を拝領し、甲府藩主となったという。
ただし、国千代は甲府には入らずに江戸城西の丸で生活し続けていた。
領国経営については、もっぱら旧武田家の遺臣を中心として形成されていた家臣団が担っていたようである。
将軍の御世継ぎとなる可能性が途絶えたとは言え、僅か10歳で20万石を有する大名になったという事は、やはり国千代が御世継ぎの弟であったからであろう。
そんな国千代であったが、すぐに父である将軍・秀忠を激怒させてしまった…。
歴史は常に動いている。
国千代が10歳頃、甲府20万石を拝領し、甲府藩主となったという。
ただし、国千代は甲府には入らずに江戸城西の丸で生活し続けていた。
領国経営については、もっぱら旧武田家の遺臣を中心として形成されていた家臣団が担っていたようである。
将軍の御世継ぎとなる可能性が途絶えたとは言え、僅か10歳で20万石を有する大名になったという事は、やはり国千代が御世継ぎの弟であったからであろう。
そんな国千代であったが、すぐに父である将軍・秀忠を激怒させてしまった…。
歴史は常に動いている。