竹千代は、乳母である“お福”(後の春日局)の下で育てられていた。
“春日局略譜”によると、国千代人気が高まっていた頃、徳川幕府初代将軍、この時は大御所と呼ばれ、駿府に居た家康の側近として幕府の屋台骨を支えた土井利勝に、長子相続の利を説いて味方に付け、それを足掛かりとして家康に直訴したという。
結果、次期将軍は竹千代と決まり、国千代は臣下と、明確な判断がなされたそうである。
ただし、この、お福による大御所への直訴の逸話は“徳川実記”には一切書かれていない…。
歴史は常に動いている。
“春日局略譜”によると、国千代人気が高まっていた頃、徳川幕府初代将軍、この時は大御所と呼ばれ、駿府に居た家康の側近として幕府の屋台骨を支えた土井利勝に、長子相続の利を説いて味方に付け、それを足掛かりとして家康に直訴したという。
結果、次期将軍は竹千代と決まり、国千代は臣下と、明確な判断がなされたそうである。
ただし、この、お福による大御所への直訴の逸話は“徳川実記”には一切書かれていない…。
歴史は常に動いている。