1829年、平八郎は禁止されているはずの“武家無尽”の元締めを突き止めた。
その相手は、事もあろうに、大坂西町奉行所の与力・弓削新左衛門(ゆげ しんざえもん)。
平八郎と同じ“与力”として大坂の治安維持に当たるべき人間が、不法行為の元締めになっていたのである。
平八郎はこれを自分の上司である大坂東町奉行・高井実徳に報告すると同時に、その支援の約束を取り付けたという。
やがて標的とする弓削新左衛門が、その上司にあたる大坂西町奉行・内藤矩佳の江戸への出府(栄転)の見送りに出ている間、平八郎は弓削の手下を次々に捕縛していった。
大坂でそんな事になっているとも知らずに戻って来た弓削新左衛門は、それまでの不法行為を知った親族達に囲まれ、咎められたという。
もはや言い逃れすら不可能と悟った弓削新左衛門、切腹して果てたのである。
弓削氏は家名断絶は免れたものの、
現金3000両が没収され、それは貧民への施しとされたそうである。
歴史は常に動いている。
その相手は、事もあろうに、大坂西町奉行所の与力・弓削新左衛門(ゆげ しんざえもん)。
平八郎と同じ“与力”として大坂の治安維持に当たるべき人間が、不法行為の元締めになっていたのである。
平八郎はこれを自分の上司である大坂東町奉行・高井実徳に報告すると同時に、その支援の約束を取り付けたという。
やがて標的とする弓削新左衛門が、その上司にあたる大坂西町奉行・内藤矩佳の江戸への出府(栄転)の見送りに出ている間、平八郎は弓削の手下を次々に捕縛していった。
大坂でそんな事になっているとも知らずに戻って来た弓削新左衛門は、それまでの不法行為を知った親族達に囲まれ、咎められたという。
もはや言い逃れすら不可能と悟った弓削新左衛門、切腹して果てたのである。
弓削氏は家名断絶は免れたものの、
現金3000両が没収され、それは貧民への施しとされたそうである。
歴史は常に動いている。