平八郎は正式に大坂町奉行与力となった頃から
“陽明学”を学んでいたという。

陽明学とは儒学の一派で、口先だけで“善”を説くのではなく、実践する『知行合一』を旨とする学問である。

1825年、平八郎が32歳の頃、大坂天満の自宅で陽明学の私塾『洗心洞』を開くようになった。
陽明学の第一人者・頼山陽とも親交が有ったという。

このように陽明学に傾倒する平八郎が、大坂の町奉行所内の不正・腐敗を知りながら、どうする事も出来ず苛立っていた事は、想像に難くない…。


歴史は常に動いている。