1086年、陸奥守・源義家と清原清衡は、
清原家衡が籠る沼柵(現・秋田県横手市沼舘)への攻撃を始めた。

しかし、家衡の籠る沼柵は思いの外護りが硬く、なかなか突破口が開けなかった。

時間ばかりが過ぎて行き、やがて冬が訪れた。

ここにきて、義家と清衡は、長期戦に備えての装備、とりわけ冬支度をしていなかった事を後悔する事となってしまう。

非常に厳しい陸奥の冬に直面し、このまま沼柵の包囲を続けるのは不可能と判断した義家と清衡は、やむなく包囲を解き、撤退したのである。


歴史は常に動いている。