安倍頼時の死から四ヶ月後、
1057年11月、陸奥守・源頼義は約2500の兵を集め、安倍氏にトドメを刺そうと決戦に挑んだ。

黄海(きのみ※現・岩手県一関市)で激突した両軍。
安倍氏の軍勢を率いていたのは、頼時の嫡男・貞任である。

当主・頼時の死により、気落ちした安倍氏をここで一気に殲滅しようと考えていた源頼義であったが、結果は大敗。
頼義は、嫡男・義家を含む僅か七騎で脱出したという。

やはりそこは安倍氏の本拠地、貞任は国府軍を上回る約4000の兵を集めていたのである。

これを機に、安倍氏は衣川南側までジリジリと侵出。
1059年には朝廷を無視した独自の徴税を始めるようになっていた…。


歴史は常に動いている。