大赦が出された翌年、
1053年、陸奥守・源頼義は鎮守府将軍を兼務する事となり、
陸奥国と出羽国の軍事防衛指揮権を有するようになった。

それから暫くは、奥州は安定したかに見えていた。

しかし、1056年、ある事件が起こる。

源頼義が鎮守府から国府に移動する途中に夜営をしていた阿久利川(あくとがわ)での事。
鎮守府配下の藤原光貞&元貞の兄弟から、襲撃を受けたとの知らせが届いた。

藤原光貞は、相手は安倍頼時の嫡男・貞任(さだとう)だと断言していた。
安倍貞任が光貞の妹に求婚していたが、これを断った事に対する報復だという。

この報告を受け、源頼義は安倍頼時に対し、嫡男・貞任を出頭させるように命令を出すも、拒否されてしまう。

こうして、再び奥州は緊張状態となったのである…。


歴史は常に動いている。