源頼義は、清和源氏の一派“河内源氏”で、
父・頼信は、かつては藤原道長の私的護衛を勤めた事もあり、この20年程前に房総で起こった
“平忠常の乱”を平定した功績により、甲斐守から美濃守に栄転している。

また、この“平忠常の乱”平定が、清和源氏頼信流(河内源氏)が関東に定着するきっかけになったという。

後に子孫・頼朝が幕府を開きその本拠地と為す鎌倉・大蔵の地に邸を構えていた頼義は、頼信の嫡男であり、弓の名手として知られていた。

この頼義が陸奥守として着任した翌年、
1052年、後冷泉天皇の祖母・彰子(関白&左大臣・藤原頼通の姉※藤原道長の長女)の病気平癒祈願に伴い、大赦が出され、
安倍氏も赦される事となった。

時の安倍氏当主・安倍頼良(あべのよりよし)は、陸奥守・源頼義を饗応すると同時に、
名前が陸奥守と同音(よりよし)である事を遠慮し、
“頼時”に改名したという。


歴史は常に動いている。