1051年、安倍氏討伐に出た陸奥守・藤原登任(なりとう)は、出羽国秋田城を所管とする秋田城介・平繁成の協力を得て、
“鬼切部(おにきるべ)”で安倍氏の軍勢と激突したという。
この“鬼切部”は、現在の秋田宮城県境まで十数キロ辺りに在る鬼首温泉近辺と考えられている。
戦いの結果は、陸奥守軍の敗北。
陸奥話記という軍記物には、
“大守(陸奥守)軍の死者、甚だ多し。”
とさえ書かれている。
惨敗だったようだ。
藤原登任は陸奥守を解任され、京に帰る事となった。
そして次の陸奥守に任命されたのが、武勇の誉れ高い“源頼義”(清和源氏)である…。
歴史は常に動いている。
“鬼切部(おにきるべ)”で安倍氏の軍勢と激突したという。
この“鬼切部”は、現在の秋田宮城県境まで十数キロ辺りに在る鬼首温泉近辺と考えられている。
戦いの結果は、陸奥守軍の敗北。
陸奥話記という軍記物には、
“大守(陸奥守)軍の死者、甚だ多し。”
とさえ書かれている。
惨敗だったようだ。
藤原登任は陸奥守を解任され、京に帰る事となった。
そして次の陸奥守に任命されたのが、武勇の誉れ高い“源頼義”(清和源氏)である…。
歴史は常に動いている。