宇賀福神社…通称・銭洗い弁財天
ここは、先の記事で書いた佐助稲荷と同様、
鎌倉幕府を開いた源頼朝が社殿を造営したそうだ。
夢に現れた“宇賀福の神”の御告げに従って、
岩盤から湧き出る水を発見した頼朝が、
この岩盤を削って社殿を寄進したという。↓

ところで、頼朝の霊夢に現れた
“宇賀福の神”
という存在が正体不明なのだ。
少なくとも、古事記や日本書紀には、その名は出て来ない。
宇賀福の神が、“宇賀神(うがじん)”と同神だとすると、
その音の擬似性から
全国の“稲荷”に奉られている
“ウカノミタマノミコト”と同神という説も有る。
因みに、神仏習合の時代、神道の宇賀神と仏教の弁財天が習合されたのもまた事実。
ただし、それが、頼朝の霊夢に現れた“宇賀福の神”と同一かどうかは判らない。
明治維新後の、神仏分離の時、“宇賀神”が奉られていた神社の御祭神は、
宗像三姉妹の一柱、
イチキシマヒメノミコト
とされ、この銭洗い弁財天の主祭神もまた、
イチキシマヒメノミコトとされたそうだが、この山深い神社で海上交通の安全を司る宗像三神のうちの一柱が奉られているという事は、
どうにも違和感を覚える。
なので、“宇賀福の神”=イチキシマヒメノミコトと考えるのは、少々違うのではなかろうか…。
“宇賀福の神”=五穀豊穣を司るウカノミタマノミコトと考えた方が自然だと思うのは、私だけであろうか?
実際、ここで湧き出す水も、清らかな“真水”である事であるし。
さて、銭洗い信仰についてであるが、これはあの蒙古襲来(元寇)に直面した鎌倉幕府八代執権“北条時宗”の父・“北条時頼”が一族繁栄を願って始めたのだとか。
我々も写真左側の洞内に入ると、つい、紙幣をその水で、サッと洗ってしまった事は言うまでも無い!
ここは、先の記事で書いた佐助稲荷と同様、
鎌倉幕府を開いた源頼朝が社殿を造営したそうだ。
夢に現れた“宇賀福の神”の御告げに従って、
岩盤から湧き出る水を発見した頼朝が、
この岩盤を削って社殿を寄進したという。↓

ところで、頼朝の霊夢に現れた
“宇賀福の神”
という存在が正体不明なのだ。
少なくとも、古事記や日本書紀には、その名は出て来ない。
宇賀福の神が、“宇賀神(うがじん)”と同神だとすると、
その音の擬似性から
全国の“稲荷”に奉られている
“ウカノミタマノミコト”と同神という説も有る。
因みに、神仏習合の時代、神道の宇賀神と仏教の弁財天が習合されたのもまた事実。
ただし、それが、頼朝の霊夢に現れた“宇賀福の神”と同一かどうかは判らない。
明治維新後の、神仏分離の時、“宇賀神”が奉られていた神社の御祭神は、
宗像三姉妹の一柱、
イチキシマヒメノミコト
とされ、この銭洗い弁財天の主祭神もまた、
イチキシマヒメノミコトとされたそうだが、この山深い神社で海上交通の安全を司る宗像三神のうちの一柱が奉られているという事は、
どうにも違和感を覚える。
なので、“宇賀福の神”=イチキシマヒメノミコトと考えるのは、少々違うのではなかろうか…。
“宇賀福の神”=五穀豊穣を司るウカノミタマノミコトと考えた方が自然だと思うのは、私だけであろうか?
実際、ここで湧き出す水も、清らかな“真水”である事であるし。
さて、銭洗い信仰についてであるが、これはあの蒙古襲来(元寇)に直面した鎌倉幕府八代執権“北条時宗”の父・“北条時頼”が一族繁栄を願って始めたのだとか。
我々も写真左側の洞内に入ると、つい、紙幣をその水で、サッと洗ってしまった事は言うまでも無い!