佐助稲荷参道を下りてきた我々は、途中、
“銭洗い弁財天近道”
と書かれた角を左へ。

そして、小さな矢印看板に従って細い道を進んだ先に開けた場所がここ。↓

御存知、銭洗い弁財天。
正式名称は、“宇賀福神社”。
まるで裏口から入ってしまった様な雰囲気だが、
実はこちらこそが本来の正面入口だ。
各種ガイドブックや旅番組等でお馴染みの、
あの洞窟状の入口は、実は昭和の戦時中に掘られた物だそうだ。
何故、わざわざ正面入口から見て真裏に当たる山肌にトンネルが掘られ、あたかも正面入口かのように扱われるようになったかと言うと、
実は戦時中、この山の上に高射砲陣地が造られ、そこに配属された軍人達が参拝しやすいようにと考えられた末の事であったのだとか。
※軍主導か、神社主導かは判らぬが。
“銭洗い弁財天近道”
と書かれた角を左へ。

そして、小さな矢印看板に従って細い道を進んだ先に開けた場所がここ。↓

御存知、銭洗い弁財天。
正式名称は、“宇賀福神社”。
まるで裏口から入ってしまった様な雰囲気だが、
実はこちらこそが本来の正面入口だ。
各種ガイドブックや旅番組等でお馴染みの、
あの洞窟状の入口は、実は昭和の戦時中に掘られた物だそうだ。
何故、わざわざ正面入口から見て真裏に当たる山肌にトンネルが掘られ、あたかも正面入口かのように扱われるようになったかと言うと、
実は戦時中、この山の上に高射砲陣地が造られ、そこに配属された軍人達が参拝しやすいようにと考えられた末の事であったのだとか。
※軍主導か、神社主導かは判らぬが。