石垣山一夜城とは、秀吉が小田原攻めの為に築いた城。

綺麗に整備された道ではなく、本来の登り口を…。



かなり細い!

その先に開けた所が、
“南曲輪(みなみくるわ)”だった所。



因みに“曲輪”とは、城内に侵入した敵を迎撃する為に造られた、ある程度の空間。

この曲輪を見下ろす場所から、弓や鉄砲の斉射を加える事ができるようにしてある。