慶長2年(1597年)9月に入ると、日本軍は全州城から北上を開始した。

日本軍が公州に入ると、またも明国軍は逃げ去ってしまい、労せずして公州を落としてしまう。

直後、忠清道中央北部の天安にまで進んだのは、
毛利秀元と黒田長政、合計30000。

同年9月7日、
夜明け前に黒田長政は小数の先鋒隊を稷山(ショクサン)に向けて前進させていた。

夜が明けた時、黒田隊先鋒が見た物は、夥しい数の騎兵が前進して来る姿であったという。

明国騎兵・2000であった。


歴史は常に動いている。




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