黄石山城、そして南原城を攻略した日本軍は、
慶長2年(1597年)8月19日、
全州城をも攻略したという。

全州城に入っていたのは明国軍だったそうだが、日本軍の接近を知ると、たちまち逃亡してしまい、戦闘らしい戦闘も無いまま日本軍に占拠されたそうである。

こうして、全羅道の明国、及び李氏朝鮮軍は総崩れとなり、秀吉の命じた当初の目標・全羅道攻略は、ほぼ達成されたのである。


歴史は常に動いている。



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