文禄2年(1593年)1月6日、
李如松率いる明国軍が平壌への攻撃を開始した。

明国軍にはヨーロッパから伝わった初期型の大砲(フランキ砲※日本では“国崩し砲”と呼ばれた物)があり、
これをもって平壌の外郭が破られてしまう。

一気に内城まで雪崩れ込もうとした明国軍であったが、
ここで日本の鉄砲の威力の前に前進を阻まれたという。

内城に籠り、強力な鉄砲で反撃する小西行長らの日本第一軍の前に、大軍の突撃といった強引な攻めは損害を増大させるだけだと判断した李如松は、
敢えて囲みを解いて日本軍を平壌から脱出させ、騎兵による追撃を考えたそうである。

李如松の読み通り、小西行長は全軍で平壌を脱出し、南下を始めた…。


歴史は常に動いている。



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