明国遼東軍と日本軍の初の戦闘の後、第二軍の加藤清正は北進し、女真族の砦を攻撃していた。
李氏朝鮮が明国への道を開ける意思が無い事が明確となった為に、北方からの別ルートを探る意図が有ったようだ。
この時、豆満江を渡り女真攻撃に向かう加藤清正勢8000に、近隣の朝鮮人・約3000が合流したという。
度々国境を越えては朝鮮国内を襲撃していた女真族に、恨みを持つ住民が多かった為と言われている。
国境付近の女真の砦を落とし、優位に立っていた日本軍だが、結果的には女真族の執拗な襲撃に根負けするような形で撤退。
加藤清正は秀吉に、
『北方女真族地域から明国に入る事は不可能。』
と報告したそうである。
因みに、この直後、女真族から明国や李氏朝鮮に援軍を出す打診がされたが、両国はこれを拒否したという。
『北狄(ほくてき)』に助けてもらうなど、プライドが許さなかったとみえる。
当時の女真族長は、あの“ヌルハチ”であった…。
歴史は常に動いている。
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李氏朝鮮が明国への道を開ける意思が無い事が明確となった為に、北方からの別ルートを探る意図が有ったようだ。
この時、豆満江を渡り女真攻撃に向かう加藤清正勢8000に、近隣の朝鮮人・約3000が合流したという。
度々国境を越えては朝鮮国内を襲撃していた女真族に、恨みを持つ住民が多かった為と言われている。
国境付近の女真の砦を落とし、優位に立っていた日本軍だが、結果的には女真族の執拗な襲撃に根負けするような形で撤退。
加藤清正は秀吉に、
『北方女真族地域から明国に入る事は不可能。』
と報告したそうである。
因みに、この直後、女真族から明国や李氏朝鮮に援軍を出す打診がされたが、両国はこれを拒否したという。
『北狄(ほくてき)』に助けてもらうなど、プライドが許さなかったとみえる。
当時の女真族長は、あの“ヌルハチ”であった…。
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