天正20年(1592年)4月24日、
東莱城を攻略した小西行長は尚州に北上していた。

尚州守備勢は市街地を離れ、付近の丘上に布陣していたという。

小西勢は、この丘上に向けて鉄砲の一斉射撃の後、長槍の突撃という戦法を採った。

丘上からの朝鮮軍の弓による応戦が有ったものの、矢は小西勢まで届かなかったとか。

丘の下で不利と思われた小西勢であったが、やはりここでも鉄砲の射程距離の優位性が浮き彫りになったようだ。

結果、尚州守備勢は撤退。
あっさりと勝利を得た小西行長は、更に北上し、忠州を目指した。


歴史は常に動いている。



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