慶長20年(1615年)の大坂夏の陣での事。
大坂方の敗色は濃厚となっていた。

その最中、既に父・家康から将軍の座を譲り受けていた徳川秀忠の陣が不意討ちを受けたのである。

寄せ手は、木村主計率いる素肌武者35人だったという。

この時、秀忠の馬廻り衆は、勝ち戦に乗り遅れまいと、全員が出払ってしまっていたそうである。

そこに、動きを制限する様な甲冑を脱ぎ捨てた敵兵が踊りこんで来たのだから堪らない。

二代将軍・秀忠、まさかの討死かという危機に直面したのだ。

そこに残っていたのは、秀忠の剣術指南役として近習していた柳生宗矩、唯一人であった。

一対三十五…多勢に無勢である。

しかし、秀忠に殺到する敵兵を、宗矩は次々に倒していったという。

異変に気付いた馬廻り衆が戻った頃には、宗矩は既に七人まで倒していたとか。

この時、宗矩が使った技は、
柳生新陰流“逆風”だったと思われる…。


歴史は常に動いている。



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