領地没収の憂き目に会ってから数ヶ月後、柳生宗厳は、秀吉の下で五大老筆頭と呼ばれていた徳川家康の前に居た。

当時、家康は伏見城築城の為に、京の鷹ヶ峰東側の紫竹陣屋に詰めていたという。

この二人の対面の陰には、近衛前久の存在があったものと思われる。

家康は剣術に興味を持ち、
これより三年前(1591年)、あの塚原卜伝の甥にあたる松岡兵庫助則方から新当流を学んでいた。

そんな家康が望んだのは、“無刀取り”だったという…。


歴史は常に動いている。



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