享禄2年(1529年)、
大和国の豪族・柳生家厳に嫡男が生まれる。

幼名を新介、後に新左衛門と名乗った。

柳生新左衛門は、初めは戸田一刀斎(中条流継承者・富田勢源の弟・富田景政の直弟子で、後に鐘巻流を名乗る鐘巻自斎か?)に付いて中条流を、
次に新当流の神取新十郎に付いて新当流を学んだという。

1544年頃、元服した新左衛門は宗厳(むねよし)と名乗った。

この頃の大和国は、筒井順昭が勢力を伸ばし、柳生氏も筒井氏に降伏して従属していたようだ。

ここからの柳生氏は、戦乱の中、家名を残す為に苦心する事となって行く…。


歴史は常に動いている。



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